「うちは関係ない」で済まなくなる日
電話口で一時間どなられた。閉店後もカウンターに居座られた。そうした場面への対応は、これまで現場の力量とその日の運に任されてきました。
2026年10月1日、改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号)が施行され、カスハラを防ぐ措置が事業主の法律上の義務になります。措置の中身を定めた指針も2026年2月26日に告示済みです。パワハラ防止措置のときと違い、中小企業への猶予期間はありません。同じ日に求職者等へのセクハラ防止措置も義務化されます。
10月から義務になる4つのこと
第一は方針の明確化と周知。毅然と対応し労働者を保護する方針を示し、対処の内容も伝えます。厚生労働省のリーフレットは対処の例として、管理監督者が方針を指示すること、一人で対応させないこと、犯罪に該当し得る言動は警察へ通報することを挙げています。
第二は相談体制の整備、第三は事後の迅速かつ適切な対応。第四が他のハラスメント対策にはない項目で、特に悪質なカスハラへの対処方針をあらかじめ定めて周知しておくこと。「起きてから考える」ではなく「起きる前に決めておく」ことが求められます。相談者のプライバシー保護と、相談を理由に不利益な扱いをしない旨の定めも必要です。
カスハラの定義と、正当なクレームとの境目
法律上のカスハラは、①顧客等の言動 ②社会通念上許容される範囲を超えている ③就業環境が害される——この3つをすべて満たすものです。裏返せば、正当なクレームやご要望は入りません。品質への苦情も納期の相談も、それ自体は業務です。
「範囲を超える」の見方は2つ
要求の中身が行き過ぎ(提供していないサービスの強要、根拠のない金銭要求)か、手段が行き過ぎ(長時間の拘束、暴言、SNSでの個人攻撃、居座り)か。要求が正当でも、手段が行き過ぎればカスハラになり得ます。
数字で見る、準備状況と最大の壁
厚生労働省の委託調査では、過去3年間に相談があった企業はパワハラ64.2%、セクハラ39.5%、カスハラ27.9%。相談が「増加」が「減少」を上回ったのはカスハラだけでした。働く側で受けた割合は10.8%、生活関連サービス業・娯楽業16.6%、卸売業・小売業16.0%と接客頻度が高いほど上がります。
| 見る点 | 正当な申し出 | 行き過ぎの疑い |
|---|---|---|
| 要求の中身 | 根拠がある | 過大である |
| 伝え方 | 社会常識の範囲 | 長時間・暴言に及ぶ |
| 相手への向け方 | 業務への指摘 | 個人攻撃になる |
ところが企業側の取組は、最多の回答が「特にない」で55.8%。課題として「迷惑行為と正当なクレームを区別する判断基準を設けることが難しい」が25.9%、すでに取り組む企業でも「ハラスメントかどうかの判断が難しい」が59.6%で最多でした。用意すべきは制度ではなく「ここから先は行き過ぎ」と言える具体例の束です。
AIに任せてよい範囲と、人が決める範囲
AIは判断する道具ではなく、文書を形にする道具です。任せてよいのは、方針文のたたき台、措置の項目を自社の言葉に置き換える作業、メモを時系列の記録に整える作業、想定問答づくり——どれも「書く手間」であって「決める仕事」ではありません。
人が決めるのは、自社の線引きをどこに置くか、個別の事案が当たるか、どの段階で警察や弁護士に相談するか。AIは外れていても同じ調子で書いてきます。判断は労働局の雇用環境・均等部(室)や社労士へ。AIに七割の下書きを出させ、その紙を囲んで直す——一時間の会議で方針文の骨格まで届きます。
10月までの4ステップ
第1歩・方針を一枚で書く——内容は3つだけ。毅然と対応すること、社員を守ること、相談窓口はどこか。読み上げて1分で終わる分量が適切です。下書きはAIで構いませんが、最後の一読は経営者本人が。
第2歩・線引きの例を集める——ここが最も時間がかかります。過去の出来事を5件でも書き出し、「要求の中身が行き過ぎ」「手段が行き過ぎ」「正当な申し出」に仕分けます。実名は書かず「常連の男性客」で十分です。
第3歩・窓口と手順を決める——小さな会社なら専務や総務担当者で構いません。一人で対応させない、管理者に判断を仰ぐ、犯罪に当たり得る言動は警察に通報する。厚労省のリーフレットの対処例が、そのまま手順のひな型になります。
第4歩・全員に配って伝える——義務の中身は「決めること」ではなく「周知すること」です。配って朝礼で読み合わせ、誰にいつ配ったかを残します。文面は社内通達をAIで整える方法へ。
そのまま使えるプロンプト
第1歩と第2歩で使える型です。角かっこを置き換えて貼り付けてください。
肝は条件3と条件5です。AIの仕分けが正しい必要はありません。「これは正当な要望だ」と社内で議論が起きれば、それがそのまま自社の基準になります。書き方はAIへの指示の基本へ。
対応記録と、その場で使う言葉
第三の柱「事実関係を迅速かつ正確に確認する」を支えるのが記録です。対応した社員に、その日のうちに話し言葉でメモを残してもらう。「14時ごろ電話、40分くらい、返金しろと繰り返された」で構いません。AIに日時・相手・場所・経過・対応者へ整形させます。
守るべき原則は一つ。「事実」と「評価」を分けて書くことです。「大声で怒鳴られた」は評価が混ざっています。「近くの席まで聞こえる声量で、同じ要求を10回以上繰り返した」なら事実です。労働局や弁護士に相談するとき、価値があるのは事実の側です。
あわせて、その場で口に出す言葉も用意します。上長に代わるとき(「責任者に代わります」)、応じられないとき(「当社では対応いたしかねます」)、終わらせるとき(「本日はここまでとさせていただきます」)。言い慣れていない言葉は、いざというとき出てきません。AIに5案出させ、声に出して選んでください。
AIにやらせてはいけないこと
第一に、お客さまの氏名・連絡先・取引内容を入力すること。型をつくる段階では不要で、「男性客A」で十分です。線引きはAIに入力してはいけない情報一覧へ。
第二に、個別の事案がカスハラに当たるかをAIに判定させること。定義には「業務の性質その他の事情に照らして」という条件があります。聞いてよいのは「判断するときの観点を挙げて」まで。第三に、相談を受けた社員への返答を丸ごと書かせること。窓口の役割は書面を返すことではなく、一人ではないと伝えることです。
なお、厚生労働省の資料では顧客等に「取引の相手方」が明記されており、発注元の担当者からの言動も対象になり得ます。逆に自社の社員が他社にしてしまった場合は、事実確認への協力に努めることとされています。研修では「してしまう側」の視点も入れてください。
よくある質問(Q&A)
従業員が数人の会社でも、本当に対象になりますか。
厚生労働省の案内では、業種や規模にかかわらずすべての事業主が対象です。規模による猶予はありません。ただし求められているのは大企業と同じ体裁の制度ではありません。A4一枚の方針文、担当者一人の相談窓口、対応手順を決めた紙——この3点で形になります。心配な点は都道府県労働局の雇用環境・均等部(室)へ。
お客さまに厳しく対応して、評判が落ちませんか。
方針の書き方次第です。ご意見・ご要望は真摯に承ること、そのうえで社員の人格を傷つける言動には応じられないこと。この2つを同じ文書に並べれば、多くのお客さまはむしろ好意的に受け取ります。社員が萎縮しないぶん、通常の対応が丁寧になったという声もあります。
方針文をAIに書かせて、そのまま掲示してもよいですか。
おすすめしません。AIが書いた方針文はどこの会社にも当てはまる一般論になりがちで、自社の具体例が入っていない方針は現場で使われません。実際に起きた場面を1つか2つ、抽象化して盛り込んでください。就業規則との整合は社会保険労務士に見てもらうのが安全です。直し方はAI文章を人が直す3つのポイントへ。
まとめ
- 2026年10月1日から、カスハラ対策は業種・規模を問わず全事業主の義務。中小企業への猶予期間はない。
- カスハラは①顧客等の言動 ②社会通念上許容される範囲を超える ③就業環境が害されるの3要素すべてを満たすもの。正当なクレームは含まれない。
- 最大の壁は線引き。AIに任せるのは方針文・仕分けの下書き・記録の整形までで、判断は必ず人が行う。
カスハラ対策は、お客さまを疑う仕組みではありません。どこまでが正当なご要望で、どこからが行き過ぎかを会社として決め、社員に伝えておく仕組みです。線が引かれていない職場では、判断がその日の担当者に丸投げされます。AIは、その線を文章にする時間を縮めてくれます。
ある小売店で、レジのパートの方が「あのお客さん、また来た」と小声で言うのを聞きました。月に何度か来ては長時間同じことを言い続ける方がいる、とのこと。ただ記録は一つも残っていませんでした。その日から、対応した人が三行だけメモを残す運用を始めたところ、二か月でメモは十件を超えました。
数字になった瞬間、対応が変わりました。店長が本部に相談でき、来店時は二人で対応する体制になり、パートの方は「自分が我慢すればいい話」だと思わなくなりました。制度が人を守るというより、記録が人を守ったのだと思います。
── AutoAIPlatform編集部