「壁」がなくなって、いちばん忙しくなるのは説明する人
パートやアルバイトで働く方が、年末になると勤務を減らす。「106万円を超えると手取りが減るから」という理由をよく聞きます。この106万円は、社会保険(厚生年金保険・健康保険)に加入する条件のひとつである月額8.8万円という賃金の基準を、年額に換算した目安です。法律に「106万円」と書かれているわけではありません。
その基準が、なくなります。2025年(令和7年)6月13日に成立した年金制度改正法により、短時間労働者の加入要件から賃金要件が外れることが決まりました。日本年金機構の短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用の拡大は、この賃金要件について「所定内賃金が月額8.8万円以上となるため、この要件は令和8年10月に撤廃予定です」と明記しています。令和8年10月は、2026年10月のことです。
制度の中身は年金の話ですが、現場で起きるのは会話の変化です。「あと何時間まで働けますか」という質問の答えが、この秋から変わる。手取り、扶養、将来の年金、健康保険証。パートで働く方が気にする論点は多く、しかも一人ひとり事情が違います。会社側の仕事は保険料の暗算ではなく、正確な情報を、相手に合わせた言葉で、何度でも伝えることです。ここがAIの出番になります。
数字で見る2026年10月の変更
まず全体像を数字で押さえます。細かい条文より、この5つを覚えるほうが実務では役に立ちます。
消えるのは賃金要件だけです。厚生労働省の社会保険の加入対象の拡大については、月額8.8万円以上という要件を撤廃するとしたうえで、その時期を法律の公布から3年以内とし、全国の最低賃金が1,016円以上となることを見極めて判断すると説明しています。なぜ1,016円かというと、月8.8万円を週20時間・月4.33週で割り戻すと時給がおよそ1,016円になるからです。最低賃金がその水準を超えれば、週20時間働く人は自動的に月8.8万円を超える——つまり賃金要件が事実上意味を失う、という理屈です。
逆に言えば、残る基準は勤務時間です。週の所定労働時間が20時間以上かどうか。ここが2026年10月以降、加入するかしないかの分かれ目になります。年収でも月給でもなく、契約上の労働時間です。この一点を社内で共有できているかどうかで、秋以降の混乱の量が変わります。
いまの加入条件と、そこから消えるもの
現在の短時間労働者の加入要件は4つあります。日本年金機構の説明によれば、週の所定労働時間が20時間以上であること、学生でないこと、所定内賃金が月額8.8万円以上であること、そして勤務先が特定適用事業所等であることです。あわせて、2か月以内の期間を定めて使用される方や臨時に使用される方は、加入対象から除かれます。
| 要件 | 2026年9月まで | 2026年10月から(予定) | 説明のときの言い方 |
|---|---|---|---|
| 所定労働時間 | 週20時間以上 | 週20時間以上(変更なし) | 「契約の時間で決まります」 |
| 賃金 | 月額8.8万円以上 | 撤廃 | 「106万円は関係なくなります」 |
| 学生 | 学生は対象外 | 対象外(変更なし) | 「学生さんは今までどおり」 |
| 雇用期間 | 2か月超の見込み | 2か月超の見込み(変更なし) | 「短期の応援は別扱いです」 |
| 会社の規模 | 厚生年金51人以上 | 2027年10月から順に縮小 | 「うちは○年から対象です」 |
表の右端をつけたのには理由があります。制度の説明をそのまま読み上げても、聞く側には届きません。「あなたの契約は週何時間か」という一点に翻訳して初めて、自分ごとになるからです。社内向けの文章を整える考え方は社内通達・お知らせ文をAIでわかりやすく整える方法にまとめてあります。
自社に対象者はいるか——51人と20時間の数え方
自社が関係するかどうかは、2つの数え方で決まります。ひとつは会社の規模、もうひとつは個人の労働時間です。
会社の規模は「特定適用事業所」に当たるかどうかで判断します。日本年金機構の説明では、特定適用事業所とは、1年のうち6か月以上、適用事業所の厚生年金保険の被保険者の総数が51人以上となることが見込まれる企業等を指します。ここで数えるのはパートを含む全従業員ではなく、すでに厚生年金に入っている人の数である点に注意してください。正社員30人・パート40人の会社は、従業員70人でも特定適用事業所ではない可能性があります。
個人の側は、契約上の週の所定労働時間です。実際に残業して週22時間になった月があっても、契約が週18時間ならただちに対象にはなりません。ただし契約と実態が恒常的にずれている場合は、実態のほうで判断されるため、就業実績が契約を上回り続けているなら契約書を見直すのが筋です。ここは10月を待たずに点検しておきたいところです。
50人以下の会社でも、労使の合意で加入できる
特定適用事業所に該当しない会社でも、労使の合意にもとづいて任意に社会保険を適用する道があります。厚生労働省の資料は、この任意適用の場合でも保険料負担の軽減措置を活用できるようにする、と説明しています。「うちは50人以下だから関係ない」で止めず、選択肢として知っておくと、採用の場面で効いてきます。
2027年から2035年へ、規模の壁も順に消える
賃金要件の次に控えているのが企業規模要件の撤廃です。厚生労働省の年金広報検討会に提出された年金制度改正法に関する広報についての資料は、施行日を一覧で示しています。従業員36〜50人の企業は2027年10月から、21〜35人の企業は2029年10月から、11〜20人の企業は2032年10月から、1〜10人の企業は2035年10月からです。
つまり10年かけて、会社の規模による線引きはなくなります。最終的には、週20時間以上働く人は勤め先の大小に関係なく社会保険に入るという形に着地する予定です。いま従業員が20人の会社にとっても、これは「将来の話」ではなく「準備期間が6年ある話」です。
なお、常時5人以上を使用する個人事業所の適用対象の拡大は2029年10月からで、すでに存在する事業所は当分の間は対象外とされています。自社の形態によって時期が違うため、社会保険労務士や年金事務所に一度確認しておくと安心です。
会社の負担はいくら増えるのか
説明の前に、会社側の数字も押さえておきます。厚生年金保険の保険料率は厚生年金保険料額表のとおり18.3%で、これを会社と本人が折半します。健康保険料や介護保険料もほぼ同じ考え方です。ざっくり言えば、新たに加入する人の給与のおよそ15%前後が、会社の追加負担になります。
月8万円のパートが5人新しく加入するなら、会社負担は月におよそ6万円、年間で70万円台という規模感です。金額そのものより大事なのは、この試算を10月になってから初めてやらないこと。年度の途中で人件費が動くと、他の予算が押されます。時給の上昇と重なる年でもあるので、最低賃金は全国平均1,176円への記事とあわせて見通しを立ててください。
使える支援と助成金がある
負担を和らげる仕組みも同時に用意されています。厚生労働省の資料によれば、企業規模要件の見直しなどで新たに加入対象となる短時間労働者に対して、3年間、事業主の追加負担により本人の保険料負担を軽減できる特例的な措置が2026年10月から実施されます。軽減の度合いは賃金水準に応じて段階的で、事業主が追加負担した保険料は制度全体で支援するとされています。
助成金もあります。厚生労働省の「年収の壁」への対応のページは、キャリアアップ助成金の短時間労働者労働時間延長支援コースについて、労働者を新たに被用者保険に適用させ収入増加の取組を行った事業主に対し、労働者1人につき最大75万円を助成すると案内しています。
もうひとつ、混同されやすい130万円の壁についても同ページが整理しています。こちらは配偶者などの扶養に入り続けられるかどうかの基準で、一時的な収入増であれば事業主の証明により、原則として連続2回までは扶養に入り続けることが可能とされています。106万円は「自分が社会保険に入るか」、130万円は「家族の扶養に残れるか」——この違いを最初に説明しておくと、面談の混乱が半分になります。
AIに任せてよい説明と、任せてはいけない判断
ここから準備の話に入ります。まず線引きを決めておきます。
AIに任せてよいのは、全員向けのお知らせ文の下書き、想定される質問と答えの一覧づくり、むずかしい言葉のやさしい言い換え、そして面談後に自分で書いたメモの整理です。いずれも個人を特定しない、制度の説明についての文章にすぎません。
任せてはいけないのは、特定の人が加入対象かどうかの判定、シフトをどう変えるかの決定、手取りがいくらになるかの試算、保険料額の確定です。これらは事実の確認と法令の適用を伴う判断で、間違えれば給与計算に直結します。保険料の金額は必ず年金事務所か社会保険労務士に確認してください。あわせて、氏名・給与額・扶養状況といった個人データをAIの入力欄に貼らないこと。入力してよい情報の線引きはAIに入力してはいけない情報一覧と安全な言い換え方にまとめてあります。
10月までにやる4歩
残り約1か月半で踏める4歩を示します。3歩目と4歩目が、この記事の本題である「伝える仕事」です。
第1歩:対象になる人を数える
契約上の週の所定労働時間が20時間以上の人を、雇用契約書から洗い出します。あわせて、いま賃金要件で対象外になっている人が何人いるかを数えます。この人たちが、10月に新しく加入する候補です。作業自体は名簿を見るだけですが、ここを飛ばすと以降の話が全部あいまいになります。
第2歩:会社の費用を出す
対象人数と月額給与から、会社負担の増加分を試算します。数字の計算はAIではなく表計算ソフトで行ってください。手順が分からないときの相談のしかたはExcelデータの整理・集計をAIに手伝ってもらう方法が参考になります。
第3歩:全員に先に知らせる
個別面談の前に、全員へ同じ内容のお知らせを配ります。順序が逆になると「自分だけ呼ばれた」という不安が生まれます。
第4歩:一人ずつ希望を聞く
そのうえで、働き方の希望を一人ずつ聞きます。会社が決めて通知する場ではなく、本人の意向を確認する場です。
そのまま使えるプロンプト
角かっこを自社の内容に置き換えて貼り付けてください。全員向けのお知らせ文と、面談用の想定問答が一度に出てきます。
条件2と条件3が肝です。手取りの試算と、働き方の誘導。この2つを文章に入れた瞬間、お知らせは通知ではなく圧力になります。指示文の組み立て方そのものはAIへの指示(プロンプト)の基本の書き方から確認してください。
全員向けのお知らせ文に入れる3つ
お知らせ文に入れる要素は3つに絞ります。第一に「変わること」。賃金要件がなくなり、週20時間以上の契約であれば加入の対象になること。第二に「変わらないこと」。時給も、シフトの決め方も、有給休暇の扱いも、これまでどおりであること。第三に「相談の窓口と時期」。誰に、いつまでに聞けばよいのかを明記します。
この3点セットが効くのは、人が不安になるのは変化そのものではなく、変化の範囲が分からないときだからです。「変わらないこと」をはっきり書くだけで、問い合わせの件数が目に見えて減ります。
加えて、断定を避ける一文を入れておきます。「2026年10月からの予定です」と書き、政令の公布状況によって変わりうることを添える。制度の説明で会社が信用を落とすのは、間違えたときより、断定して後から覆ったときです。
一人ひとりとの面談で使う言葉
面談では、会社から切り出す順番を決めておきます。まず「いまの契約は週何時間か」を一緒に確認する。次に「10月からどうなるか」を事実として伝える。最後に「働き方を変えたい希望はあるか」を聞く。この順番だと、制度の話と本人の希望が混ざりません。
言ってはいけないのは「入ると損ですよ」「減らしたほうがいいですよ」という誘導です。社会保険に加入すれば、将来の老齢厚生年金が増え、傷病手当金や出産手当金といった健康保険の給付も受けられるようになります。目先の手取りだけを比べる説明は、事実の一部しか伝えていないことになります。損得の判断は本人のものです。
面談のメモは、その日のうちにAIで整えておくと後が楽です。自分で書いた箇条書きを渡して「確認したこと/本人の希望/会社が持ち帰ること/次に話す時期の4項目に整理してください。氏名は書かないでください」と頼めば数分で形になります。言いにくい話題を扱う面談の組み立て方は「言いにくいこと」をAIに書かせる前にで詳しく扱っています。
やってはいけない「働き控え」対策
この制度変更でいちばん危ないのは、会社側の先回りです。保険料負担を避けるために、本人の同意なく契約時間を週20時間未満へ引き下げる。これは労働条件の不利益変更にあたる可能性が高い行為です。就業規則や個別の合意なしに一方的に行えば、あとから無効を主張される余地を残します。
もうひとつ避けたいのが、加入を避けるための形式的な契約の付け替えです。実態は週25時間働いているのに契約だけ週19時間にする、といった処理は、実態で判断されれば遡って保険料を求められることになります。目先の負担を避けた結果、数年後に一括で請求される——これがいちばん重い失敗です。
そしてAIに関する禁止事項をひとつ。制度の要件や助成金の金額を、AIの回答だけで社外や社員に伝えないでください。法令や助成金の細部は、AIがもっとも自信ありげに間違える領域です。必ず一次資料で確認してから配ってください。確認の手順はAIの回答をそのまま使ってはいけない理由と確認手順にまとめてあります。
今日確認する5項目
準備の進み具合は、次の5点で点検できます。
- 厚生年金の被保険者数を数え、特定適用事業所(51人以上)に当たるかを確認したか
- 契約上の週の所定労働時間が20時間以上の人の一覧を作ったか
- 新たに加入する見込み人数から、会社負担の増加分を試算したか
- 全員向けのお知らせ文(変わること・変わらないこと・相談窓口)の下書きがあるか
- 面談で使う想定問答を用意し、誘導する表現がないか確認したか
5つ全部そろっている必要はありません。まずは2つ目、週20時間以上の契約が何人いるかを数えてください。ここが分からないままだと、費用も説明も先に進みません。
よくある質問(Q&A)
106万円の壁がなくなったら、パートは全員が社会保険に入ることになるんですか。
いいえ、全員ではありません。なくなるのは「所定内賃金が月額8.8万円以上」という賃金の条件だけです。週の所定労働時間が20時間以上であることという条件は残ります。学生でないこと、2か月を超えて働く見込みであることも条件として残ります。さらに2026年10月の時点では、勤務先が特定適用事業所(厚生年金の被保険者が51人以上)であることも必要です。週15時間の契約の方は、これまでどおり対象外です。
うちは従業員30人なんですが、10月から何かしないといけませんか。
2026年10月の時点では、対象になるのは特定適用事業所です。厚生年金の被保険者が51人以上でなければ、すぐに義務は生じません。ただし企業規模要件は段階的に撤廃され、厚生労働省の資料によれば従業員36〜50人の企業は2027年10月から、21〜35人の企業は2029年10月から対象になります。30人規模の会社であれば2029年10月が目安です。準備の時間はありますが、パートの方から質問が来る可能性はあるので、事実を整理しておくことをおすすめします。
社員に「入ると手取りが減りますよ」と説明してもいいですか。
おすすめしません。事実の一部しか伝えていないからです。社会保険に加入すると保険料の負担は生じますが、その分だけ将来受け取る老齢厚生年金が増え、病気やけがで働けないときの傷病手当金、出産手当金といった健康保険の給付も受けられるようになります。会社が損得を断定すると、後から「そう言われたから時間を減らした」という話になりかねません。伝えるのは制度の事実までにとどめ、判断は本人に委ねてください。個別の金額は年金事務所や社会保険労務士に確認するのが確実です。
まとめ
- 社会保険の加入条件から月額8.8万円の賃金要件が2026年10月に撤廃される予定。残る主な基準は週20時間以上の所定労働時間である。
- 企業規模要件も2027年10月の36人以上を皮切りに、2035年10月まで段階的に撤廃される。いま50人以下の会社にも準備期間がある。
- 会社がやるのは保険料の暗算ではなく説明の準備。お知らせ文と想定問答はAI、加入の判定と金額の確定は人と専門家が担う。
制度改正の記事はどれも数字の話に見えます。けれど現場で起きるのは、更衣室での「これ、どうなるの」という一言です。そこで担当者が言葉に詰まるか、A4一枚を渡せるか。違いは知識の量ではなく、準備してあったかどうかだけです。下書きなら、今日の午後にでも作れます。
ある小売店で、10月の制度変更について店長が朝礼で口頭説明をしたところ、その日のうちに「私、辞めたほうがいいですか」と相談に来た方がいたそうです。店長にそんな意図はまったくありませんでした。口頭の説明は、聞いた人の不安の色に染まって伝わる——この一件が示しているのはそこだと思います。
だから紙を配ります。同じ文字を全員が読む状態を作ってから、個別の話に入る。順番を守るだけで、余計な波風は立ちません。文章を書くのは面倒な仕事ですが、下書きまでならAIが数分で用意してくれます。整えるのはAI、決めて渡すのは人。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
── AutoAIPlatform編集部