9月と3月が「言い出しやすい月」に決められている
中小企業庁は価格交渉促進月間の実施とフォローアップ調査結果のページで、2021年9月から毎年9月と3月を「価格交渉促進月間」に設定していると説明しています。今年で6年目です。
理由は単純で、価格の改定を4月と10月に行う企業が多いからです。その前月にあたる3月と9月を、交渉を持ちかける月として国が名指ししています。
月間中は業界団体を通じた要請も行われ、取引先も同じ通知を受け取っています。「たまたま値上げを言い出した会社」ではなく「月間だから話をした会社」になれるのが、この期間の実務的な意味です。
転嫁率は半分どまり、労務費はさらに低い
経済産業省が2026年6月26日に公表した価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査の結果によると、価格転嫁率は54.2%でした。コスト上昇分のうち、半分強しか価格に反映できていない計算です。
コスト要素別に見ると差が出ます。原材料費は55.7%、エネルギーコストは48.9%、そして労務費は50.0%。賃上げの原資に直結する部分が、いちばん通りにくい状態が続いています。
この調査は30万社に配布し、69,625社が回答したものです。価格交渉そのものが行われた割合は90.7%。場は開かれた上で、半分しか通っていません。
交渉できたかどうかより、何を持っていったか
同じ調査では官公需の価格転嫁率が48.4%、都道府県別では上位と下位で20%以上の差がありました。相手の種類より、示した材料で結果が変わると考えたほうが実態に近いはずです。
国が示した根拠は「公表資料」だった
内閣官房と公正取引委員会は、2023年11月29日に労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針を策定しました。発注者と受注者がとるべき行動を12の行動指針にまとめたもので、2026年1月1日に改正版が適用されています。
受注者側の行動として書かれているのは、根拠資料に最低賃金の上昇率や春季労使交渉の妥結額といった公表資料を用いることです。理由も明記されています。自社のコスト構造を開示すると、逆に発注者から原価を査定され、値下げを求められる可能性があるからです。
もうひとつ、待たない姿勢も求められています。同指針は「発注者から価格を提示されるのを待たずに受注者側からも希望する価格を発注者に提示すること」と明記しています。先に金額を出されると、それを上回る額を通すのは難しくなるという現実を踏まえた記述です。
背景には調査結果があります。公正取引委員会の特別調査では、転嫁率の中央値が原材料価格80.0%に対し労務費は30.0%でした。言い出しにくさが数字に出た形です。
値上げの根拠に使える公表資料
同指針が例示している資料は限られています。次の6つで足ります。どれも無料で、取引先も同じものを確認できます。
| 資料 | 何がわかるか | 向いている場面 |
|---|---|---|
| 都道府県別の最低賃金と上昇率 | 地域の人件費の底がどれだけ上がったか | パート・アルバイト比率が高い業務 |
| 春季労使交渉の妥結額と上昇率 | 世の中の賃上げ水準 | 正社員が中心の受託業務 |
| 毎月勤労統計調査の賃金指数(厚生労働省) | 業種ごとの賃金の動き | 業種特有の事情を示したいとき |
| 公共工事設計労務単価(国土交通省) | 職種別の労務単価と改定率 | 建設・設備・警備などの請負 |
| 標準的な運賃(国土交通省) | 運送業の基準となる運賃水準 | トラック運送の運賃交渉 |
| 消費者物価指数(総務省) | 物価全体の上昇幅 | コストの内訳を出したくないとき |
中小企業庁の中小企業・小規模事業者の価格交渉ハンドブック(2026年1月改定)には、原価計算・データ収集・単価表・見積書という準備の順番が8つのチェックで整理されています。
AIに任せる作業、人が決める作業
ここまでの準備は、「調べて並べる」作業と「決める」作業に分けられます。前者はAIが代われます。
AIに向くのは、集めた数字を1枚の説明メモに整形する作業です。最低賃金が何円から何円に上がったか、上昇率は何%か、それを自社の作業時間に当てはめるといくらになるか。計算式と文章の下書きを、5分で出してくれます(AIに数字の集計を手伝ってもらう)。
向かないのは要請額そのものを決めることです。赤字を解消するのに必要な単価は、自社の数字を知っている人にしか出せません。
AIが出した数値は、必ず一次資料で確かめる
AIは最低賃金の額や統計の数値を、それらしく間違えることがあります。最終的な数字は厚生労働省や国土交通省のページで確認してから使ってください。渡した資料の数字が違えば、次の交渉が不利になります(最低賃金の改定にAIでどう備えるか)。
30分で根拠メモを作る4手順
1つ目は資料集めです。自社の都道府県の最低賃金を、前年度と今年度の2つ控えます。この2つの数字だけで、話は始められます。業種の事情を足したいときに、表1の資料を1つ加えます。
2つ目は上昇率の計算で、ここでAIを使います。金額を2つ渡して上昇率を出させ、自社の該当業務の人件費に当てはめさせます。出てきた式を自分で1回検算するまでが手順です。
3つ目が要請額を決める工程で、ここは人の判断です。指針は、公表資料の指標の変動とリンクさせる方法、実際に増えたコストを積み上げる方法、先に必要額を決めてから根拠を集める方法を例示しています。
4つ目が申し入れです。同指針には価格交渉の申込み様式の例が別添として付いており、そのまま使えます(値上げ依頼のメールをAIで整える)。
タイミングは相手の予算編成前がいい
指針が挙げる交渉しやすいタイミングは、発注者が翌年度の予算を策定する前、定期の価格改定や契約更新に合わせて、最低賃金の引上げ幅が判明した後などです。9月はこの3つが重なりやすい月にあたります。
交渉の記録を、その日のうちに1行残す
同指針は、発注者と受注者に共通する行動として、価格交渉の記録を作成して双方が保管することを挙げています。地味ですが、ここが翌年の交渉材料になります。
残すのは4項目で足ります。日付、相手の担当者名、示した根拠、相手の回答。断られた理由もそのまま書いておきます。次に「前回はこの理由でしたが、状況が変わりました」と切り出せるからです。
この記録づくりもAIに任せられます。打ち合わせのメモを貼り付けて4項目に整理させるだけで、週に一度まとめれば月に10分程度です(会議の音声から議事録を作る)。
記録は取引先を疑うためのものではありません。同じ調査では支払期日が60日を超過している企業が6.6%残ると報告されています。事実を静かに並べておくのが、いちばん効きます(取引のルール改正にどう対応するか)。
そのまま使えるプロンプト
集めた公表データから、取引先に見せる説明メモの下書きを作らせるプロンプトです。角かっこを置き換えてください。
条件2が肝心です。原価の内訳を書かない指示を入れておくと、AIが親切のつもりで自社のコスト構造を書き込むのを防げます。
よくある質問(Q&A)
うちみたいな小さい会社が値上げを言い出したら、切られませんか。
その不安は国も把握しています。公正取引委員会の特別調査には、今後の取引関係への悪影響を恐れて要請できないという声が集まりました。だから月間が作られ、発注者側にも定期的に協議の場を設けるよう求めています。月間を理由に切り出すのが、いちばん角が立たない方法です。
原価計算をきちんとやっていないのですが、それでも交渉できますか。
できます。指針は、根拠資料を用いずに価格転嫁が認められる場合もあると述べています。最低賃金の上昇率だけを示して単価の引上げを求めた事例も挙がっています。原価計算は次の課題として、今回は公表資料だけで進めて構いません。
AIに作らせた資料を、そのまま取引先に出しても大丈夫ですか。
数字を確認してからにしてください。統計の値や年次はAIが取り違えることがあります。出典のページを開いて突き合わせる作業は、必ず人が行います。文章の体裁や構成はAIの下書きで十分です(AIの答えを確かめる手順)。
まとめ
- 毎年9月と3月は価格交渉促進月間。価格改定が多い4月・10月の前月にあたり、国が交渉を後押しする期間として設定している。
- 2026年3月調査の価格転嫁率は54.2%、労務費は50.0%。交渉自体は90.7%で行われており、差がつくのは示した根拠のほう。
- 根拠は自社の原価表ではなく公表資料を使う。集めて整形する作業はAIに任せ、要請額の決定と数値の確認は人がやる。
交渉が苦手でも、資料は準備できます。用意した会社と、用意しなかった会社の差が出るだけです。
ある部品加工の会社で、値上げの相談を受けたことがあります。社長が持っていたのは、自社の原価を細かく書き出した表でした。見せると値切られる、と伝えると驚かれました。
代わりに用意したのは、県の最低賃金の推移だけを載せたA4一枚です。相手の担当者は「これは確かにそうですね」と言って、その場で持ち帰りました。自社の事情ではなく、世の中の事実を並べたほうが通ることがあります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
── AutoAIPlatform編集部